サンダーランドこそ我が人生から考える「サポーター」という存在

  • 2020年8月25日
  • 2020年12月15日
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あらすじ

Netflixで配信されている、”SUNDERLAND ‘TIL I DIE”(邦題「サンダーランドこそ我が人生」)。

イギリス北東部の名門サッカークラブ、サンダーランドAFCが2部リーグに降格したタイミングからの2シーズンを描いたドキュメンタリーであり、選手、経営陣、クラブスタッフ、そしてサポーターそれぞれに焦点を当てている。

2017-2018シーズン当初の目標は「昇格」。世界中の降格組クラブがそうだろう。1年で上位リーグへの復帰を果たさないと、年を追う毎に戦力低下、資金力低下に見舞われ、昇格は難しくなる。

だが、そう上手くはいかないのがフットボールの世界

スタートダッシュに失敗し、フラストレーションを溜めるサポーター。昇格のためにリスクを冒したいが、実際の資金繰りを考えると大型補強に踏み切れないフロント。

そして結局、サンダーランドは2018年5月、昇格はおろか3部リーグへと降格してしまう

ドキュメンタリーのシーズン2では3部リーグでの1年間の戦いを収めている。

新オーナーによるクラブの改革、3部とは思えない熱気に包まれるスタジアム、実績十分の主力選手で1年での2部復帰を目指す。

イングランドサッカーの聖地ウェンブリーでの大一番に2度臨むが、果たしてカップタイトル、2部昇格を果たす事は出来るのか?

(サンダーランドAFCの本拠地Stadium of Light)

サポーターとは??

もちろん、サポーターは一括りに説明できるものではなく、色々な層が存在する。

ここでは分かり易いように大きく2つに分けて考える。

年間チケットホルダーでアウェーでの試合にも駆け付けるコアサポーターと呼ばれる層。そしてもう一つは、年に数試合ホーム戦には来る層。

声が大きい、主張が激しいのは前者だが、後者の方が数が多いし、売上高の変動に大きく影響するのも後者の数なので、フロントは両者の間のバランスを保つことが難しい。

前者は短期的な結果でサポーターを離れることはないが、クラブの伝統やアイデンティティを重んじ、外部からやって来る経営者には厳しい目を向ける。

後者は分かりやすく、有名な選手が所属していたり、そのシーズンの調子次第でチケットやグッズの購入数が大きく変わる。

今回の記事で題材とするサンダーランドこそ我が人生に関しては、前者にスポットライトが当たっているので、私の考察も前者に限定させて頂く。

なぜ応援し続けるの?

降格したサンダーランドの試合に足を運び続けるコアサポーター。上手くいかないチームに対して時には罵声を浴びせ、絶望の表情を浮かべる

それでも、次の試合へ向かうバスの中では楽しみという感情を抑えきれない

これは私もよく分かる。

私は14年間FC東京のサポーターなのだが、当然惨敗して怒りが抑えられない時もある。

しかし、だからと言って次の週末が来るのが楽しみでなかったことなどない。

例えば2019年のホーム味の素スタジアムでの大一番で前年王者の川崎相手に0ー3の完敗。

コアサポーターの陣取るゴール裏中心部も雰囲気は最悪。

しかし、翌週の清水エスパルスとのアウェーゲームには皆ハイテンションで臨み、90分間大きな声援を送った。(見事2ー0で完勝!)

(写真はその清水戦。IAIスタジアム日本平への入場時に撮影)

時間もお金もストレスもかかる、サッカークラブのサポーターという生き方

勝ち試合の後は最高だが、バイエルンミュンヘンやレアル・マドリードといった一部のエリートクラブを除けば勝率は5割前後。

時には2割を切ってサンダーランドのように下部リーグへと降格してしまう。(FC東京も2010年に降格を経験した)

では、なぜサポーターを辞められないのか。

ストレスを溜めるぐらいなら辞めれば良いのにって思う人も多いだろう。

この心情を理解するためには「サッカークラブ」という存在の特性を理解した上で、サポーターがどんな役割を果たしているのか考える必要がある。

サッカー「クラブ」とは

サッカークラブにとって一番大切なことは何だと思いますか?
勝利?売り上げ?地域貢献?

全て大事なことだが、私は「存続し続けること」だと思っている。

サッカークラブは所属する選手との出会いや別れ、リーグの昇降格、タイトル獲得、などを経験しながら常に目の前の大会、試合に臨む。

苦しい時でも優勝した後でも次の試合はやって来る。終わりなき物語を紡いでいるのだ。終わりが来てはならない。

そのストーリーの各章の主役はもちろん選手であり、監督だ。名前が残るのは彼らだけ。

しかし、彼らとはいつか必ず別れが来る。

(写真はFC東京のユース出身の10番、梶山選手のラストマッチ。)

一方、脇役だし名前も残らないけれども、どの章にも必ず存在するのがサポーターである。

つまり、サポーターは(解釈は人それぞれだが)物語の文脈の良き理解者であり、それを自分の外側に発信することでストーリーを繋ぐ役割を果たしており、そして試合ごとに作り出す雰囲気で微力ながらも物語にアクセントを加えている。

このように、サポーターはサッカーという娯楽を受け身で楽しんでいるだけではなく、自らも演者となっているのだ。皆その物語の虜となり、自分の精神の一部となっているからこそ、一度乗った船から降りることは容易ではない。

サンダーランドという物語に参加した彼らにとって、同じイギリス北東部の名門、ニューキャッスルに鞍替えすることやサッカーなしの生活をすることなど不可能なのだ。

彼らから学べること

ここまでの話は、実際にスタジアムに足を運ぶ習慣がない人や海外サッカーへの興味がない人にとっては、大袈裟だと思うかもしれない。

しかし、150年続くイングランドフットボールの世界ではクラブが街の誇りなのだ。労働者階級の人々が平日に働き、週末はフットボールを観て、酒を飲む。そういった文化が根付いている

サポーターあってこそのサッカークラブ。そして長期的な視点でクラブを語る上でサポーターは欠かせない存在。イングランドでは文化となっていることが日本にはまだ根付いていないと改めて気付かせてくれたのがこの作品だった。

歴史や文脈を大切にすること、自分達もアクセントを加え得る存在であること、そして愛するクラブの試合が続いていることそのものが幸せだということ。

この記事を読んでくださっている人もこれらを意識してサポーターライフを送ってみてはどうだろうか。

また、サポーターではないよ、という読者の方も「サッカーのサポーター」に対して少しでも理解してもらえたら嬉しい限りだ。

(FC東京ゴール裏からの写真。早くこの日常が戻って来て欲しいものだ)

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